2024年6月29日土曜日

葵編振り返り

終わった。

割と初期の頃から考えられていたストーリーでしたが、3年の月日を経てついに動画化することが出来ました。

テーマは「本心」。自分でも気づかないような本当の気持ちという奴ですね。

葵ちゃんがイヤホンを盗んだのは表層的には単なる物欲、あるいは不平等の解消、あるいは東北ずん子への嫌がらせですが、深層的には自己表現です。

犯行の発覚を恐れてみたり自らの正当化に努めてみたりしますが、それは心の底からの思いではありません。

葵ちゃんにとってこの出来事は言ってしまえばノベルゲームにおけるイベントなわけです。

これによって自己の心情を開示する機会を獲得し、他者との関係性が大きく変化する。そういうターニングポイントになると期待しているんですね。

私は常々、ていうか昔ですね、話を考えた当初。人間が自発的に何かを行うとき、その動機は楽しいからと仕方なくの2つしかないと考えていました。

喜び、怒り、哀しみ、その他もろもろの感情。それらは全て楽しいで括ってしまって差し支えないでしょう。

どんな感情も脳が刺激を受けてホルモンが分泌されている状態でしかないわけです。

常識的には喜びの感情は好ましいものであり、怒りや悲しみの感情は誰しも好き好んで獲得するものではないとされています。

ですが負の感情が娯楽になり得ないというのは現実にはそぐわない考えです。

映画や小説のような表現物は言わずもがな、日常生活においてもそれらを積極的に取りに行っている者は別に珍しくもない。

毎日クレームを入れるために店や役所に通ったり、ネットで気に入らない出来事を見つけては誹謗中傷を書き込んだり、目を皿にして部下の失敗を探しては怒鳴り散らしたり…

悲劇の主人公ぶってる、なんて表現は古今東西で言われてますね。

偏見ですが女に多い。

粗暴な恋人やホスト、芸能人に貢いでは報われない恋を嘆いたり、多忙な夫や反抗期の子供に頼まれてもない献身をしては煙たがられる自分を哀れんだり…

男で言えば…

自ら進んで孤立している癖に社会との隔絶を嘆いたり、己の主義主張を一切曲げる気もないのに誰からも受け入れられない自分を哀れんだり…これは私か。

じゃあやめるかとはならないのは、実はその状態に満足しているからですよ。

怒ったり泣いたりするのはとても気持ちがいい。もしかしたら笑うことよりも。

仕方なくというのはまぁ、仕方なくです。自己の生存と安全のため否応なしに行う行為。

腹が減ったから飯を食べて眠くなったから寝るとか、殴られたくないから愛想笑いして命令に従うとかそういう感じの。

それを除けば、人間の行為は全部ただやりたいからやってるだけでしかない。

将来のために努力するのも娯楽だし、毎日を怠惰に過ごすのも娯楽。

人助けするのも娯楽だし、人をいじめるのも娯楽。

子どもを作るのも娯楽だし、子どもを殺すのも娯楽。

笑ってる奴も怒ってる奴も泣いてる奴も中身は一緒。脳内ホルモンがドバドバ出てるだけ。

年を取った今ではそこまで尖った考え方に共感することはできませんが、論理的に否定できるわけでもありません。


話を戻しますが葵ちゃんもやってはいけないことをやってしまった時間を楽しんでいました。

ずん子さんの期待や信頼を裏切ってしまったんじゃないかと悲しんだり、ゆかりさんに自分だけが悪いわけではないと怒ったり、自分は悪い奴だと開き直って何食わぬ顔で遊びに出かけたり…

あの時間だけは確かに葵ちゃんは自分のことを物語の主人公だと思っていられたでしょう。

最終的に葵ちゃんは自分の本心に気づき、罪を告白しました。それは精神的に成長したからなのか、刺激が足りなくなったことで冷めてしまったからなのかは定かでありません。

それに対するずん子さんの返答が、極めて物語のギミック的なものになっています。

「そんなこと別にいいのに。」

それは四国めたんと九州そらが東北ずん子に向けた感情であり、琴葉葵が琴葉茜に向けた感情でもあります。

めたんとそらにとってずん子との学校生活はさほど重要なものではなかった。うさぎとの別れもそうです。

どれだけ離れても友情は揺るぐことは無く、いずれまた共に過ごす日が来ると確信しているから。

ずん子は仲間だからいつも一緒じゃないと駄目という価値観で、めたんは仲間だからいつも一緒じゃなくても大丈夫という価値観で、そらはそもそも大人になるまでは単なる準備期間だからどっちでもという価値観です。

ずん子さんの思いは「そんなこと」で切り捨てられたわけです。

茜ちゃんが幼少期の事故によって人格と今後の人生を決定づけられたのは、茜編でやりましたね。

茜ちゃんが葵ちゃんをいじめてたことに対して葵ちゃんがどう思ってるのかのアンサーがこれです。

そんな事実は無いと思ってるし、口にこそ出しませんが姉に向けられる罪悪感にはうんざりしています。

茜ちゃんの思いは「そんなこと」で切り捨てられたわけです。

そして最後。

葵ちゃんがイヤホンを盗んだこと、その背景にある心理や感情もまた、ずん子さんに「そんなこと」で切り捨てられた。

この「自分にとって大切なものが相手にとっては全く大切ではない」というのがもう一つのテーマとなっています。

ずん子さんも別に嘘つきというわけではなく、葵ちゃんと仲良くなりたいというのも本心ではあります。

ですが葵ちゃんを評価しているのは表層心理だけであり、深層心理では「凡人にしては」という注釈がついていた。

もし四国めたんが、九州そらが中国うさぎがイヤホンを盗んだと告白したら。

ずん子さんは驚き、戸惑い、なぜそんなことをしたのかと問いただしたことでしょう。

でも葵ちゃんだったから「そういうこともあるか」で済ませてしまった。そして当然のように宥め、慰める方向に進んでしまった。

これはゆかりさんとの対比になっています。

ゆかりさんは散々間違えながらも肝心な場面でマキさんへの答えを間違わなかった。これまで様々な葛藤や苦悩があったからです。

ずん子さんは間違えた。迷わないし悩まないし躊躇わないから。これまで間違えたことが無いから。

実際葵ちゃんがずん子さんと比べて精神的に未熟であるというのは正しい認識ではあるのですが、直前に対等な関係を築けると語っておきながらこの返答は葵ちゃんを馬鹿にしています。誤りではありませんが過ちです。

この瞬間、二人が対等な友達になる可能性が完全に断たれてしまいました。

とまぁそんな過去を受け止めて、葵ちゃんは一人歩みを進めます。

私も忘れかけてましたが「あんまり仲良くない二人」と「カスみたいな思想を垂れ流す結月ゆかり」と同じ時間帯でしたね。エンディングに入れときました。

茜ちゃんがゆかりさんを変え、ゆかりさんがマキさんと和解し、ゆかりさんがあかりちゃんを勧誘し、ゆかりさんと茜ちゃんは今も相棒同士で、マキさんとあかりちゃんもいがみ合いながらもなんだかんだ仲が良く…

ずん子さんは相変わらずで弓道部では次期部長として後輩たちに慕われ、生徒会でも頭角を現している。

葵ちゃんは今も余った一ピースのまま。という終わり方です。

葵ちゃんが流した涙はどういう意味でしょうね。

現状への不満か、自分への失意か、あるいは報われない人生を楽しんでいるのか。

葵ちゃんはそこまで自己分析能力が高くないのでその答えを明確にできることは無いでしょうね。


今回で私の分身であった主要キャラ、結月ゆかり、琴葉茜、琴葉葵の過去編が終わりました。

掘り下げが進んだことで彼女たちの人格もはっきりしたものになり、私との乖離も進みましたね。

今の私の精神状態だと、一番好きなのは葵ちゃんです。

葵ちゃんだけはまだ諦めていない。

ゆかりさんも茜ちゃんも自分自身や世の中を受け入れてしまっており、等身大の生き方をしてしまっている。それは賢いことではあるけれど、尊敬できるものではない。

葵ちゃんは足掻いている。現実とは違うものを見て現実をそれに追いつかせようとしている。

動画にすることは無いでしょうが、将来的に先を行くのは葵ちゃんです。

受験勉強して、都会の大学に進み、新たな交友関係を築き、大きな企業に入り、そこでもまた新たな交友関係を築き、恋愛して、結婚して…

真っ当にライフステージを進めるのは葵ちゃんみたいな人です。現実への解像度は低くても、自分が望む現実をつくろうとする意欲がある。

ゆかりさんと茜ちゃんはもう時計の針が止まって動き出すことは無いですからね。

書き忘れてましたがテーマ曲は「Blue Star」。有名なのですね。

全般的に色合いも雰囲気も合ってる。闇のゆりかごの中から何度もずっとほんとの星に届かない、まではフリー音源だといけないのは残念。

葵ちゃんが本当の星を手にする日を祈ってますよ。いや私のさじ加減なんですけど。

次はこの前出した「そろそろ関係性を説明しよう」で3人の人間性を振り返りつつ、他の人たちとの関係を描写していきたいと思います。その前に「月喰」かもしれないけど。

さてそんなこんなで今日はもう終わります。「補遺」もようやく折り返しです。残り3人はもっと短くなるはず。

長文駄文失礼しました。


2024年6月15日土曜日

動画に出てない初期設定

動画制作が進まないので気分転換にメモ。

補遺の進捗が完全に止まってる。やはり難物であるこのシリーズ。

いったん置いといて少し手を動かす。

私の動画シリーズでは初期設定にも関わらず全然触れられていないものが幾つかある。

それらをメモしておこうと思う。


・あかりの両親

あかりの両親は昨年亡くなっており、親戚の家に引き取られる形でこの町に越してきている。

あかりの補遺で掘り下げられる予定だが、その事実をどこまでの人間が知っていることにするかは未定。

結月ゆかり、教師の桜乃そらは知っている。茜、葵、マキは知っているかは未定。それ以外の人は知らない。

あかりは特に秘密にしているわけではないが公言するようなことでもないので黙っている。

基本的に触れられることは無い話だが、その関係であかりが「親の顔を見てみたい」「親の顔より見た」みたいな慣用句を発したら変な空気が流れそう。

本人が気にしてるわけではないが設定上あかりちゃんの周囲、またマキの周囲において親の話題はなかなかセンシティブであることは動画を作る上で忘れないでおきたい。


・茜の関西弁

茜が関西弁話者であることの理由、つまり琴葉姉妹の身の上について。

いつだかブログでちょろっと書いたが茜の関西弁は父親譲りのもので、関西圏で暮らしたことがあるわけではない。

キャラづけのために関西弁を話しており、真剣に話してるときは標準語に近くなる。

いつか関西しのびと話す機会ができた時、サラッとエセ関西弁であることをカミングアウトしてもらおうと思う。

ついなちゃんも標準語で話しているため本物の関西弁キャラは現状いない。


・ずん子の超人体質

ずん子は生まれつき身体能力が異常に高い体質である。

ずん子の強さに関しては冗談のように触れられることはあったが、ほとんどの人はガチで人間離れした強さであるとは思っていない。

昔『鬼切丸』って漫画で見た話なんですが、ある所に病に犯された少年が居ましてね。

生死の境を彷徨った後に奇跡的に復活、幼馴染の少女の待つ学校にも通えるようになる。

ですが段々あまりにも元気過ぎるということで気味悪がられていくんです。

強すぎるんですよ。本当は人間じゃなくなって鬼に堕ちてしまっているから。

そんな周囲の態度に苛立って、ある日窓ガラスを叩き割って教室から飛び出すんですが、その時の描写がよく印象に残ってます。

幼馴染の少女だけは彼のことを心配するんですが、他の人はもはや怯えています。

窓ガラスだけならわかるが、窓枠までへし折っている。それなのにあいつは傷一つない。

これちょっとやりたくなっちゃうんですよね。ずん子さんがこんな感じで窓枠へし折ったり壁をぶち抜いたりしちゃって、これまで強者に対する羨ましさや疎ましさだったのが怪物に対する恐れに変わっちゃう瞬間。

ずん子さんはそんな時何もできないと思うんですよね。めたんちゃんだったらこれぞ武の極致よとかドヤ顔で言って空気を変えれるでしょうが。

守り導くべき対象である民衆から恐怖を向けられた時がずん子さんのターニングポイントになりそうなのでそう易々とは切れない展開ですが。

ずん子さんが強すぎること、重すぎることはまぁ当分の間はギャグで済む範囲でしか開示されないはずです。


ついでなんでネタバレしてしまいますが、その後鬼としての力を抑えきれなくなった少年は偶発的に幼馴染の少女を殺めてしまいます。

後悔と自責の念に苛まれながら、少女の亡骸を抱き締め一人待ち続ける。

同族殺しを天命とし、名前は無く、頭に生えない角の代わりに一振りの刀を携えた鬼。

『鬼切丸』を。

やっと現れた鬼切丸を前にし、かつて少年だった鬼は涙をこぼしながら襲い掛かる。

どうしてもっと早くに来てくれなかったのかと。

斬り伏せられ、崩れ始める鬼の体は徐々に人だった頃の体へと変わっていく。

痩せ細り、立って歩くことすらままならないあの体。

なんでかっこ悪いと思ったんだろう。病魔に侵されながらもこんなにも懸命に戦っている。

ああ、かっこいいぜ。

少年の最後の言葉に鬼切丸はそう返した。


て感じだったと思います。『鬼切丸』個人的名作回の一つです。

他には嘘吐鬼、双子の鬼、あと葛葉さんとかが印象に残ってます。

久々に見返してみようかしら。

てところで今日は終わります。なんか最後だいぶ脱線しちゃった。

長文駄文失礼しました。


筆始め

いつも帰省中は色々ブログを書き進めてましたが今年は何にも書いてません。なので筆始めです。 昔のカードを引っ張り出して遊んでました。あと普通にダラダラしてた。 そのまま休み気分を引きずってモチベが上がりませんでしたが一応動画を一本作れました。日常系小ネタ集ていう5分くらいの軽いギャ...