唯世かのんは人のいない教室で東北ずん子と向き合っていた。
彼女への取材はこれで3回目になる。六花との対決が決まった時、公約を聞きに行った時、そして今回だ。
例年通りであれば各候補者の選挙活動の様子を取り上げることになる。と言ってもどこも変わり映えがしないので、各候補者の主張をまた繰り返すことが多い。
ただ、今回に関しては事情が違う。小春六花陣営は今や100人規模の集会を行うほどの一大勢力だ。新聞部にとってこんな美味しいネタは無い。
問題なのは…
「本当に何かありませんか…?」
「うーん、どうだろう。」
ずん子はのらりくらりと追及をかわし、取材はいつまでも埒が明かなかった。
それもそのはず、ずん子は本当に何もしていないのだ。選挙演説どころか挨拶運動すらしていない。そんなことは監視していたかのんが一番わかっている。
このままだと東北ずん子について書けることが無い。まさかこれを狙っていたのだろうか。
六花のことは書いてずん子のことは書かなければ明らかに公平性に欠く。多少の無茶は通してきたが、さすがにそこまで露骨な贔屓をすれば信頼を失うだろう。
引退した先輩や顧問の先生に文句を言われるくらいならどうって事ないが、この土壇場で有権者である生徒たちに不信を抱かれるのは避けたい。
「いったいなんで何もしなかったんですか?」
「家庭の事情で時間が取れなくてね。来週からやるよ。」
「来週はもう投票日の週ですが…」
かのんにはまるで理解ができなかった。もはや本当に家庭の事情でできなかったのではないかと思うほどに。
ため息をついて苦肉の策を告げる。
「仕方ないので再び選挙の公約について取り上げます。前回の内容と被ってしまいますが、そこは上手いこと工夫します。」
「六花ちゃんの選挙活動は書かないの?」
「書きます。不公平なんて言わないでくださいね。実際の取り組みに差があるんですから。」
「だったらそっちをメインに据えた方がいいんじゃない?」
「へ?」
ずん子からの思いがけない提案に戸惑う。
「六花ちゃんの後援会ではあるけど、あくまで選挙への関心が高まった生徒たちの集まりでしょう。そこに改めて私たち二人の主張を持ち込むって形にしましょうよ。六花ちゃんだって集会を開いてみて考えが深まってるかもしれないし。」
「それは良いと思いますが…良いんですか…?」
元は反ずん子派、今は六花派の集会だ。ずん子が支持される可能性は全くと言っていいほど無い。覆せるとでも思ってるんだろうか。
「私はさ、こう見えて喜んでるんだよ。だって所詮は高校の生徒会長を決める選挙じゃん。みんな真剣になんてなんないよ。新聞を出したって演説をしたって誰も大した関心を向けちゃいない。」
「…それはそうですが。」
「だけど今回は違う。集会にまで足を運ぶ生徒が100人いるなら、選挙に考えを巡らせてる生徒は300人いる。集会が行われてるって話を耳にして、なんだなんだって思ってる生徒を入れたら600人は関心を向けてる。後の120人を巻き込めれば全校生徒が私たちの主張を受け取ることになる。」
「この時を待ってたんですか…!?」
かのん達新聞部の目的もゆかり達反ずん子派の目的も、生徒を煽って戦いの火を大きくすること。ずん子の目的も同じだったから静観していたのだ。
このタイミングで放たれたずん子の言葉は学校新聞に載り、集会で取り上げられ、集会に関心を向けている他の生徒にも伝播する。誰もずん子の味方をしようなど思っていなかったが、結果としてずん子のお膳立てをすることになったのだ。
かのんはずん子の企みの回りくどさに動揺したが、すぐに平静を取り戻した。
ずん子はこの一手で盤面をひっくり返すつもりなのだ。学校新聞に載せられる自身の主張、規律や規範なんて仮初のものではない本当の公約で。
そんなことができるはずがないと思う。だがもしそんなことができるならどんなものなのか知りたいとも思うのがジャーナリストの性だ。
「お願いします。」
そう言ったかのんを前に、ずん子が語り出した。
「それじゃあ行くね。人は…」
「以上だよ。」
ずん子が語り終わっても、かのんはすぐには口を開くことができなかった。
唇がわなわなと震え、握りしめた手からは血が滲むようだった。頭に上った血が再び全身を巡り体を熱くしていた。
これほどの侮辱を受けたのは生まれて初めてで、あまりの怒りに頭の中が真っ白になっていた。
「…今の言葉、一言一句違えずに書きますからね。」
「うん、お願い。」
かろうじて絞り出した捨て台詞にもずん子は変わらぬ調子で答えた。
荒々しく足を踏み鳴らすこともできず、よたよたとその場を後にする。教室を出て、廊下を歩き、新聞部の部室が見えてきたところでようやく思考が戻ってきた。
東北ずん子は終わりだ…!
こんなものを書いて誰も支持するわけがない。確実に負ける。それどころかその後の学校生活すら危うい。
これが起死回生の一手のつもりだったのなら人の心がまるで無いのだろう。結局私たちは虚像を見ていただけで、あの女のことを何も知らなかったのだ。
考えていた結末とは全く違ったが、これで詰みだ。かのんは勝利を確信し、ペンを取った。
『二人の候補者 生徒会選挙にかける思い』
第三体育館には連日100人以上が集まっていた。生徒会選挙における集会としては異例のものだった。
小春さんの呼びかけに応え、今回の生徒会選挙でどちらの候補者を選ぶのかだけでなく、これからの学校をどうしていきたいかについて議論が交わされていたのだ。
生徒会長なんて誰がなっても同じ。どうせ何も変わらない。自分たちには関係ない。
悲しいことだがこれまで生徒会選挙を前にした生徒たちの多くはそのように考えていただろう。
しかし今、潮目が変わろうとしている。
生徒一人一人が学校のことを真剣に考え、本当に自分が会長になってほしい候補者を選ぶ。
今回がそういう選挙になる最初の一回目なのではないかと、取材を続けていた新聞部一同は感じている。
文字通り全校生徒が続く二人の候補者の主張を受け止め、真に選ぶべき投票先を決めてくれることを願う。
「第一候補 小春六花」
正直なところ、私はこの生徒会選挙に乗り気ではなかった。前会長の花梨さんの強い推薦が無ければ立候補しなかっただろう。
私もまたどこかで生徒会長なんて誰がなっても同じだと思っていたのだ。
しかし選挙活動を続ける中で自分を支持してくれる人たちに出会い、候補者としての自覚が芽生え始めてきた。
現在多くの国では民主主義が取られている。選挙で代表を選び、代表が国政を執り行う。生徒会選挙もその縮図だろう。
生徒会長は生徒の代表者であり、代弁者だ。生徒の意見を写す鏡でなければならない。しかしそのためには、まず生徒が自分の意見を持つ必要がある。
学校生活を送る中で壁にぶつかることがある。自分がいけないのだと悩むことがある。こんな壁があるのがいけないのだと憤ることがある。
しかし多くの生徒はそこで終わってしまう。壁を乗り越えられるか、避けられるか、壊せるかまでは考えが至らない。
私はそんな時に「ではどうするか」を問いかけられる人でありたい。
私が掲げた自由と個性という公約に対して、安易な逃げ道を提示するだけなのではという懸念を持つ人も多いだろう。
壁にも単なる障害に過ぎないものもあれば、私たちを守るためのものもある。実際は壁なんて無く、本人に問題があるだけのこともあるだろう。
しかしそれらは生徒たちがどのような壁を感じていてどうしたいかを聞かなければ判断できないことのはずだ。だからこそ私は生徒の集まりに身を投じてきた。
私は決して人気取りのために生徒の要望を鵜呑みにすることは無いと約束する。一人一人ときちんと話し合った上で進むべき道を模索する。自由と個性を守るのは何よりもまず当人の自立心なのだから。
生徒の上に立つのではなく、生徒と共にあれるような生徒会長に私はなりたい。
「第二候補 東北ずん子」
人は蟻のようなものだ。
小さい頃、蟻をよく見ていた。目の前に勢いよく指を下ろすと逃げていく。ゆっくりと指を下ろすと登ってくる。
蟻の視点では何か大きなものがあるとしかわからないのだ。その判断基準は脅威か脅威でないかしかない。それによって行動が決まる。
蟻に心は無い。ただ神経の反射で動いているだけだ。餌を探すために動き回るという単調な生の中で、選択とは言えないほどの小さな分岐がある。私が下ろす指もその一つだ。
分岐を繰り返すとたまたま上手く餌を見つけられることがある。餌を見つけられた個体は同じ道を何度も通り、他の個体もその後ろに続く。そこには何の思考も意思も無い。
人も同じだ。人が心だと思っているものは単なる習性に過ぎない。蟻よりかは複雑な頭で、蟻よりかは発達した社会において餌となるものを探している。
私はこれまで小春六花と、集会の参加者と、新聞部の部員を見てきた。
彼女たちのしていることは全て餌を見つけた誰かの後追いであり、行動は全て真似事であり、言葉は全て受け売りだ。彼女たちは本当は何も考えていないし何も感じていない。
蟻の群れだ。
蟻の群れがどこか別の場所に辿り着くことは無い。自分たちがどこにいるのかも周りに何があるのかも見えていないから。ずっと同じ道筋を行ったり来たりするだけ。
蟻を導けるのは蟻よりずっと大きい生き物だ。こっちに餌は無いと指で行く道を塞ぎ、こっちに餌があると指に乗せて運ぶ。蟻はそのことを認識すらできない。
人においても同じことが言える。目線の高さと手の平の大きさ。人の上に立つ者は人であることを超えようとしなければならない。
それができるのは私だけだと思っている。
「な…!」
宮舞モカは貼られた学校新聞を前に絶句していた。いつもはガヤガヤと野次馬気分で言葉を交わしている生徒たちも今回は黙っている。
小春六花は思ったより良いこと言ってるななんて感想は一瞬で吹き飛んだ。東北ずん子が本当にこんなことを言ったのだろうか。
印象操作のための捏造なのではないかと疑うが、本人が否定すればすぐにバレるようなことをかのんはしないだろう。何よりこんな文才があるとも思えない。
続きは後日
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