2023年10月23日月曜日

関西弁の人頭の中も関西弁なのか問題

茜ちゃん編を作ってるときに言及すべきかどうか迷った奴。

結論から言うと一般的な関西弁話者は心の中でも関西弁らしい。他の方言でも同様。

英語圏に生まれ育った人が英語で物を考えるのと一緒ですね。

しかし複雑になってくるのが必ずしも関西弁話者、標準語話者の区分が明確ではない点。

幼少期は標準語の地域で育ったが関西圏に移住、周囲に合わせて関西弁を話すようになる。このパターンならたぶん思考は標準語で行われてる。

別のパターン。関西圏で生まれ育ったが、両親は標準語地域の出身で標準語話者。家庭内では標準語で話し、学校では関西弁を話す。これだとどっちかわからない。

もっとややこしいことを言い出すと、関西圏で生まれ育っても関西弁がそこまで使われない地域であれば思考にまで関西弁が入り込まないかもしれない。

私の育った地域では南部弁という非常に訛りの強い方言が使われているはずではあったが、学校では標準語しか使われておらず、南部弁は話せないし聞いてもよくわからない。

関西弁を話してる人だから頭の中でも関西弁で考えてるというのは早計かもしれない。

関西人にもレベルがあり、その段階というのは量的なものだというのは念頭に置いておきたい。

本題。

琴葉茜は関西弁話者であるが、双子の妹である葵は標準語話者である。

これは二人が一緒に生まれ育ったという前提のもと考えると、極めておかしな話である。

同じ家に同じ時期に生まれ同じように生活してきたなら、両者の言語は同じであるはずである。

この矛盾を解消するため、幼少期に離れ離れになり茜は関西圏、葵は関東圏で暮らしていたという設定が用いられることもある。

しかし、そういった設定を用いてしまうと双子ならではのずっと一緒にいたからなんでもわかるみたいな雰囲気を出せなくなってしまう。

それではせっかくの双子の持ち味が減ってしまうのではと考えた。

なんとか他に整合性のある解釈ができないものか。

そうして私の動画内では茜ちゃんの関西人レベルは弱くなった。

普段の話口調は関西弁だが、真面目な話になるほど関西弁は少なくなっていき、考え事を行う際は完全に標準語だ。

キャラ付けとして意識的に関西弁を使ってる。そういう認識で間違ってない。

双子という設定を重く取った結果、関西人という設定が軽くなったのである。

もっと詳細を話すと二人の父が関西弁話者、母が標準語話者であり、生まれ育ったのは作中のあの町である。ちなみにあの町は東北にある。

病弱だった葵は家で母と過ごすことが多く、活発だった茜は外で父と過ごすことが多かった。それによる関西弁と触れ合う機会の差がまず一つ。

もう一つは茜が周囲に自分と葵の区別をつけさせるためのキャラ付け。「関西弁の方」という印象を自身に付加することで円滑にコミュニケーションを行うことを目的としている。

そういった背景を据えれば茜ちゃんの非常にややこしい立ち位置も説明できるのではないかと考えている。できてるかな。

結局動画内では特に言及されることはなかったが、機会があったらその辺の事情も描かれることがあるかもしれない。ないかもしれない。

だからまぁどうという話でもないんですがメモ代わりに書いときました。

あ、だから茜ちゃんが不自然な関西弁を使ってても大目に見てくださいね。だって関西で暮らしたことないんですもん。

…私が修学旅行くらいでしか関西に行ったことないから関西人を描けないというのもあります。

方言というのも失われつつあるらしいですね。

私の故郷の南部弁しかり、若年層は標準語で教育を受け標準語の娯楽を嗜むわけですし使い続けるのは老人ばかりですな。

まぁ関西弁は当分は大丈夫でしょうけど。

そんなこんなで終わります。今日は荷造りして疲れました。

長文駄文失礼しました。


筆始め

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