元ネタは意味がわかると怖い話。
名称は不明。「合わない死体」「爆発」など。
とある学校の理科室で爆発が起こり、児童39名、教員1名が犠牲となる。
しかし奇妙なことにバラバラになった死体を並べてみると遺体が一つ多い。
子供が40人、大人が1人。
はてどういうことだろうか…?
と記憶していたが改めて調べてみるとちょっと違っていた。
晴れだの雨だの天気の話があったり検察官が「数が合っている」と叫んだり。
解説の方も子供がてるてる坊主として吊るされていたとか、骨格標本が本物の死体だったとか、教師が女性で妊娠していたとか、原爆をもじったストーリーだとか。
まぁ割としょうもない奴だった。
私が定説だと思っていたのは個人ブログで創作されたものだった。どっかのまとめサイトでみかけたんだったか。
リンクはこちら。タイトルは「40人目の子供」。
http://sekiryoku.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/40-0e9c.html
内容はリンク先を読めばいいが、ざっくり言うと遺体を検分するため手作業で人の形に並べていく中で、誤って一人分多く作ってしまったという説だ。
バラバラになった死体はどれも完全な形にはならず、ちょっとずつパーツが欠けている。その欠けたパーツが組み合わさって一人分の死体になったという。
これも厳密にはあり得ないのかもしれないが、お話として面白かったのでベストアンサーとしておきたい。
本題。こちらを参考にして怪談風の長編を1本作成しようと考えている。
今のご時世一クラス40人はそうそう居ないので人数を減らし、一人余っている感を出すために31人目の子供とした。
物語は東北家できりたんとゆかりが話しているところから始まる。
きりたんが小学校で噂になっている怪談として「31人目の子供の霊」について語る。
バラバラになった30人の子供の余ったパーツから生み出された、31人目の子供。
肉片が繋ぎ合わさった不気味の姿のその子が、「席がない。席がない。」と訴えながら放課後の学校を彷徨っている。
ゆかりはその都市伝説を知っており、現代ではそのように伝わってるのかと感心する。
きりたんの隣のクラスでそれを見たという生徒が現れ、盛り上がりを見せているそうだった。
本当に怖がっている生徒もいるため不謹慎とは思いつつも、ゆかりときりたんはちょっかいをかけようと画策する。
教室に席をもう1個用意し、「31人目の子供」をクラスの一員として扱うことでその霊を供養する。
ゆかりが聞きかじりのオカルト知識でそんなことを提案する。奇しくも隣のクラスの人数も30人であった。
きりたんはその話を隣のクラスに流してみると承諾する。
時は流れ再び東北家。きりたんはゆかりに状況報告する。
意外なことにそれは本当に実行されていた。
面白がってる男子と怖がってる女子、生徒に押し切られた先生という構図が語られる。
「31人目の子供」は「アマル」君と名付けられ、教室内では彼は実在するものとして扱われていた。
当然周囲には気味悪がってる者も多く、ウナやコウ先生も誰がそんなことを言い出したのかと憤っていた。
すぐに飽きてやめるだろうという二人の予想に反し、その取り組みは1か月ほど続いた。
「アマル」君の存在もすっかり定着したころ、きりたんは隣のクラスの様子を見に行く。
特におかしなところも感じない普通の教室風景だった。
案外大したことじゃないのかもしれないと帰ろうとした時、誰も座っていない椅子が動いた。
「アマル」君の席だった。
クラスメートたちは何も気にしない。というより「アマル」君が呼びかけに反応して席を立っただけという扱いだった。
みんなが見えている振りをしているのではなく、みんなにだけ見えている何かがいるのではないか。
きりたんはそんな疑念と恐怖を抱く。
ゆかりときりたんは今後の対応について考える。
集団心理を観察したかっただけで本当に幽霊が存在するとは思っていなかったのだ。
このままでは隣のクラスの人たちに何か悪影響があるのではないか。
二人は霊的な事象に詳しそうな人に相談することにした。
イタコやずん子に話したら怒られそうだったため、倫理観の緩めなめたんに意見を聞きに行く。
めたんは面白そうな試みだとは認めつつも、他人にやらせたのは感心しないと顔をしかめた。
めたんはゆかりの計画は最初から破綻していたと告げる。
確かに霊に居場所を作って供養するという方法はある。
人形などの形代を用いることもあるが、今回のように席を用意するだけでも十分だ。
墓石や墓標も原理としては同じものだ。
ではどこがダメだったかというと、誰のための場所なのかを指定していなかった。
席を用意した後、霊に対してここはあなたの席ですよと告げないと、ただ空っぽの席が用意されただけになる。
霊の名前などがわかっていれば、それを利用することでその場所と霊を結びつけることもできた。
しかし今回目的の霊が誰なのかはわかっておらず、「アマル」君という名前もその霊に向けてつけたものではない。
空の席を用意し、そこに座る「アマル」君という何者かを一から作っていった。
あの教室で行われたのはそういうことになる。
隣のクラスの教壇にめたんは立っていた。
複数人の思念で作られた存在が実体を持つかはめたんにも確信が無かった。
けれどこの形式は信仰によって神を生み出すようなことに近く、子供たちに続けさせるのは危険だった。
学校側もクラスがこのような状態になっているのは好ましくなく、めたんの提案を受け入れた。
やめろと言われてやめることはまず無い。「アマル」君の存在を信じない大人と思われて反発を受けるだろう。
めたんは霊能力者を名乗り、「アマル」君を受け入れたクラスの皆を褒めた。「アマル」君もクラスの一員になれて喜んでいると。
その上でめたんは一つのお願いをした。このクラスの人ならきっと助けてくれると。
めたんは自身の隣を示す。ここに「トオル」君という霊がいる。
彼もこのクラスの一員にしてほしいと。
その日からクラスには席がもう一つ増えた。
目には見えないクラスメートが二人いる。その状況に適応しきれなくなる生徒が出てきた。
そこに「アマル」君がいる。「アマル」君がこう言った。「アマル」君がこうしている。
対象が一人だけならば誰かの発言に合わせて共通理解を持てる。
だがそれが二人になれば、認識を合わせられなくなってくる。
「アマル」君はここにいる。では「トオル」君はどこにいる。
「アマル」君はこう言った。では「トオル」君はどう言った。
「アマル」君はこうしている。では「トオル」君はどうしている。
二人分の存在を把握できなくなり、クラスの意識は分散していった。もうやりたくないと言い出す生徒と、二人のためにも続けるべきだと言う生徒で口論も増えていった。
その報告を受けためたんは、駄目押しの一手に向かう。
再び教室を訪れためたんは、皆のおかげで「トオル」君も満足していると告げる。
既におざなりな扱いになっていたにも関わらず、大丈夫だったようで安堵するクラスの一同。
めたんはあなた達ならばもう一つ頼みごとをしても大丈夫だろうと語る。
めたんは自身の隣を示す。ここに「ミツル」君という霊がいる。
めたんが何を言い出すのか察しがついたようで、クラスに動揺が走る。
二人ですら対処しきれなかったのに三人。絶対に無理だった。
クラスの心は分裂していた。賛成派、反対派、どうすればいいかわからない派に分かれて言い争いが始まる。
ひとしきり争わせた後、めたんが告げる。
ここに霊なんかいないと。
「ミツル」君なんかいないし、「トオル」君なんかいないし、「アマル」君なんかいない。
めたんは語る。死者にこのような情けをかけるべきではないと。
もし本当に霊がいたとして、クラスの一員として扱われたとして、それが成仏に繋がることはない。
霊は単なる残留思念でしかなく、形を保てなくなったら消えるだけのものだと。
いようがいまいが放っておけばいい。めたんの言葉はシンプルでシビアだった。
一人の女の子が生前やりたかったことをやったらきっと満足すると訴える。
めたんはそれはいつまでと問いかける。後何か月こうしていれば満足するのか、小学校を卒業するまでやれば満足なのか。
あなたが死んでもいいと思える時が来ないように、霊にも消えてもいいと思える時は来ない。
一人の男の子が途中で投げ出してしまって祟りはないかと確かめる。
ここには何もいないのだから霊による祟りなど起こりようもない。
それでもあなたたちの前に何かが現れたとしたら…
「私が消してあげる。」
めたんはそう締めくくった。
ゆかりときりたんはめたんにお礼を言う。
告げ口したりはしないけれど悪ノリはほどほどにするように。めたんの言葉に二人を肩をすくめる。
ゆかりは本当に何もいなかったのかと尋ねる。
少なくとも自分には見えなかったとめたんは答える。
特別な力があるわけでもない30人の子供と1人の大人。その思念が集まったとて何かが生まれることなどあり得るのか。
31人目の子供。一つ多かった死体。
本当に居たんじゃないかとゆかりが口にする。
そのクラスでも同じようなことをしており、生み出された存在はやがて肉体を持つまでに至った。
31人分の死体を30人分にまとめることで、逆に彼の存在を無かったものにしてしまったのではないか。
きりたんはその荒唐無稽な話を笑おうとしてやめた。
最初に目撃されたという「31人目の子供の霊」。結局それは何だったのか。
多感な時期の少女が視た幻影か、別のどこかで亡くなった子供の幽霊か、あるいは…
みたいなの。
「拾遺」の能力者編でやったようなオカルト的な部分を掘り下げていくための前哨戦に近い。前提となる世界観を別の物語で解説するのである。
幽霊や魂といったものがどのようなものかを描くと同時に、「31人目の子供」という存在の哀れさを描く。
最初の「席がない。席がない。」は「墓石がない。墓石がない。」だった。てのも入れようかと思ったけどやっぱ没で。
夏になったら作る。
後語り。
終わったのでちょっぴり解説を置いておく。
上記のストーリーだとちょっとシンプル過ぎたのでもう少しトッピングしておいた。
足したのはきりたんのクラスメートの彩澄しゅおと隣のクラスの田中傘先生。
しゅおはキャラが思いついていなかったが、妙楽さんの「しゅおは天才小学生」が印象に残ったので科学を信奉するキャラづけにした。
トバリ、めたんのように超常的なものを科学的に解明していこうとしている人物である。今後何かしらトラブルメーカーとなる可能性も高い。
田中傘先生は隣のクラスの気弱な担任という予定だったが、トッピングの影響で少々きな臭くなっている。
動画を見てスッキリしない気持ち悪い終わり方だと思ってくれたなら嬉しい。
描写していないところが多いが時系列を整理するとこうなる。
①きりたん小学4年生時。しゅおは別のクラスであり担任は田中先生。この時、田中先生はしゅおがオカルトに詳しいことを知る。動画内では言及無し、そのうちしゅおの去年の自由研究を動画にすれば触れる。
②田中先生が放課後の教室で幽霊らしきものを目撃する。蒼白な顔で立ち尽くしているところをしゅおが発見。田中先生の話を聞いたしゅおはそれを「31人目の子供の霊」だと推測する。
③しゅおが隣のクラスの人が幽霊を見たという話を漏らす。それが先生だとは思われず隣のクラスの生徒の誰かと解釈されて広まる。
④きりたんがその噂についてゆかりに話す。ゆかりの考えた幽霊を成仏させる方法がきりたんを通して学校に広まる。
⑤隣のクラスで「アマルくん」をクラスの一員とする儀式が始まる。動画で出した「1週間後」という表記は田中先生が何かを見てからのカウント。これで幽霊を成仏させられると思った先生は儀式を行うことを認める。
⑥二週間後、生徒の意識が散漫だったにも関わらず儀式が続いたのは田中先生が積極的だったから。ゆかりの「大半の生徒は何かを見たわけではないから本気じゃない」というセリフは、逆説的に何かを見た一人だけは本気だったことを暗示している。
⑦ゆかりときりたんに泣きつかれ、めたんが儀式に介入してくる。「トオルくん」が追加されたことでクラスの団結は崩れていき、儀式は頓挫する。ここで重要なのはめたんが「アマルくん」が無から生じたものであると説明していないところ。
⑧しゅおがきりたんに最初の目撃者が田中先生であることを明かすが、きりたんはそのことをさほど重要なこととは捉えずゆかりとめたんには伝えていない。「アマルくん」は田中先生の自宅に移されて今も人として扱われている。めたんの「強く思っている人が居ると残っちゃう」というセリフによってまだ「アマルくん」が消えていないことを暗示している。
この話の気持ち悪い部分は全体像を把握している人が誰もいないところである。
きりたんが一番情報を握っているが、それらを上手く組み立てられていない。自分に責任が及ばないようにという保身、「アマルくん」という無から生じた存在への同情心で行動している。
ゆかりが最も無責任な立場である。きりたんとめたんを通してしか学校の情報を得ておらず、必然的に最初の都市伝説の延長線上として物見遊山で捉えている。
めたんもまた本気で問題解決には取り組んでいない。きりたんの儀式を止めてほしいという頼みに応えただけで、関係者全員から事情を聞いて状況を確かめてはいなかった。
しゅおは意図的に渡す情報を絞っていた。これが霊的な存在を実体化させることに繋がるとわかっていながら田中先生には教えず、きりたんにも最初から全てを明かしはしなかった。田中先生が見た「31人目の子供の霊」と「アマルくん」が同一ではない可能性にも気づいていた。ただ田中先生が一人でも儀式を続けることは考えていなかった。
田中先生はまだ「アマルくん」を放課後の教室で見たあの幽霊だと思っている。めたんがきちんと訂正しなかったことでゆかりが考えた幽霊を成仏させるための儀式という誤った認識を持っている。家に連れ帰ってまで成仏させようとする理由は単なる同情なのかは分かっていない。
あえて描写していない部分が幾つかある。展開的には突っ込まれてしかるべきようなところだが、その部分を掘り下げると謎が謎でなくなっちゃうからである。
・なぜ「アマルくん」なのか。伝聞を繰り返すうちに抜け落ちた可能性もあるが「31人目の子供の霊」は人っぽい形をした肉の塊である。それを聞いたゆかりも男か女かわからないと注釈した。隣のクラスの誰が「アマルくん」と名付けたのか、なぜ男だと思ったのか。
・「アマルくん」の見た目はどのようなものだったのか。めたんが初めて教室を訪れた際、「アマルくん」は不安定な存在であるためぼんやりとしかわからなかった。はっきりとその姿を見たことがあるのは田中先生だけである。本当に死体のパーツを並べて作られたような形だったのか。
・結局「31人目の子供の霊」とは何だったのか。作中で語られたことは全て推測であり実際のところ誰の幽霊だったのか、そもそも幽霊だったのかもわかっていない。理科室の爆発で死んだ霊で全国の学校を周っている可能性も無くはない。だが一番自然な考え方はあのクラスに縁のある誰かだったという説だろう。
・もう答えみたいなものだが霊的な存在はルールに縛られる。「アマルくん」は普通の小学生として扱われて形を得ていったのだから普通の小学生でなければならない。普通の小学生が学校で居場所が無くなったからと言って担任の先生の家に移り住んだら設定に矛盾が生じてしまうはずである。つまり「アマルくん」が学校に通うことと先生の家にいることは初めから両立してもおかしいことではなかった。少なくとも一人は最初からそう思っていた。
こんぐらいで終わり。
フェイクドキュメンタリーを見て全てを明かさない感じの動画作りを試してみたくなった。その結果がこれである。
普通に作るのが難しいし伝わってるかも怪しいので当分はやらない。小ネタ集に続いて3週連続で数字が奮わない奴を出してしまった。
色々拙いところが多かったが楽しめていただけたら幸いと思う。こういう謎解き要素があるホラーが好みなの。
というところで次はまた双葉湊音を擦ります。
長文駄文失礼しました。