2025年7月28日月曜日

飯沼一家に謝罪しますを見て

作業のお供として見ていたが想像以上に面白かった。

今後の糧にもなりそうなので他の人の考察も参考に考えたことをつらつら。


〇矢代教授が行った「影の行列」という儀式について

私はそれなりにオカルト好きだが体系的に学んでいるわけではない。よって私の解釈には私個人の思想が多分に入り込んでいることを注釈としておく。

まず運気を上げる儀式としてはそこまで悪くなかったと思う。ツギハギではあったが絶対にやってはいけないようなことは見当たらなかった。

ただ儀式の方向性が家族の中の「悪いもの」を送り出すことに終始していたのが良くなかったと思う。

悪い気を取り去り良い気を呼び込むというのがこういう儀式の基本だ。しかし悪い気の行き先は鏡と明確にしていたにもかかわらず、良い気をどこから呼び込むのかは示されていなかった。

儀式において良い気を呼び込もうとしていたのは最後だけであり、それもネットに転がっている「センテンナムフルホビル」とかいう呪文を唱えただけである。

この儀式は運気を上げるためのものとしては不完全であり、効果は無かったと考える。

一時的に運気が上がり「幸せ家族」では成功したように見えるが、恐らくあれはヤラセである。他の人の考察からの受け売りだが成功時の映像とリプレイ映像が異なる箇所があった。

そもそも全てのチャレンジを成功させないと賞金が貰えないチャレンジ番組など、最初のチャレンジで失敗したらお茶の間冷え冷えである。複数回チャレンジし成功した映像を繋ぎ合わせたのだろう。

少し脱線するがスタジオに応援しに来ていた人たちもたぶんサクラだ。さすがに明正さんが替え玉なのにはしゃげる知り合いはいないだろう。

閑話休題。ではこの儀式は全くの無意味だったのかというとそうではない。

本物の明正さんを除く飯沼一家が「悪いもの」として指定したのは明正さんだった。そのためこの儀式は明正さんを呪うものとして作用する。

行き先とされた鏡がどこを表すのかはわからない。彼岸を意味するという話も聞くがとりあえず「向こう側」だ。

良樹さんは他の人が書いた紙の内容を知らなかったろうが、みんなで明正さんが「向こう側」に行くように祈願したことになった。


〇明正さんが呪い返しを行ったか

「影の行列」が上記のように作用した場合、「向こう側」に行こうとするのは明正さんのはずであった。

しかし実際におかしくなったのは他の飯沼一家と良樹さんの4人である。呪いが返ってきたようにしか見えない。

明正さんが意図的に呪いを防いだ。あるいは仕返しに4人を呪った。この可能性は限りなく低いと思われる。

当時明正さんは2階にいたのかもしれないが、家族3人が紙に自分の名前を書いたとは知りようがない。あくまで階下で行われているのは運気を上げる儀式の認識だったはずだ。

結論から言って偶然だろう。

当時オカルトにはまっていた明正さんは自室に魔術的な装飾を施しており、その様子が写真に収められている。それによって明正さんが加害者なのではないかと考えるのはミスリードである。

写真に写っているのはロープと六芒星の書かれた紙。これらから連想されるものはなんだろうか。

扉の前に張られたロープは明らかに「注連縄」を意図している。神社とかによくあるアレである。

六芒星の書かれた紙はどうか。アニメや漫画で陰陽師はこれを使って攻撃するだろうか。

これらはどちらも結界を作るためのものだ。引きこもりである明正さんは自分にとっての聖域である部屋を守ろうとしていた。

明正さん本人も本気で信じてはいなかっただろうが偶然ちゃんと作用して呪いを弾き返したのである。

明正さんは恐らく今もそのことを知らない。


ここからは根拠の乏しい想像。

明正さんは気性の激しい引きこもりだったと言う証言があるがそれは事実だろうか。

自分の部屋の中で勝手にやることで自分を偽る必要はない。自分の居場所を守りたいというのが明正さんの根幹にある気持ちだったと思われる。

もし本当に気性の荒い人物ならもっと藁人形に五寸釘や動物の死骸なんかを飾るか、壁に殴った穴とか開いてるだろう。

当時の同級生がテレビ映像の良樹さんを見て違うと断言したのは、明正さんはこんな快活さなど微塵も無い根暗でおどおどした奴だったからだ。

ていうか暴れるような奴だったら家にテレビ局とか教授とか呼べないよね。

これも他の人の考察の受け売りだが明正さんは飯沼一家においてスケープゴートなのだったと思われる。

経営不振による生活難という危機的状況において、共通の敵を持つことを娯楽としていた。

良樹さんという代わりの息子を用意するほど明正さんを疎んじていたというより、良樹さんを息子として扱うという嫌がらせの意味合いがあったのではないだろうか。

多くの場合引きこもりのいる家庭ではその子をいないものとして扱う。

存在を想起させるような代替物を用意したりしないし、他の人に見られるかもしれないのに悪いものとして紙に書いたりはしない。

飯沼一家の行動にはどことなくいじめっ子気質が感じられる。


〇明正さんの謝罪は何に対してなのか

明正さんは家族が自分を呪ったことも偶然呪い返しが成功したことも知らない。では何に対して最後「すいません」と言ったのか。

まず明正さんが放火したかについて。これも恐らくミスリードである。

明正さん自身重傷を負っているし、警察が放火の可能性を見逃したとは考えにくい。

封印していたビデオカメラの映像、明正さんは明らかに怯えていた。ほとんど部屋から出なかったと思われる。

出火原因はわからないが少なくとも父、母、妹の3人は逃げずに亡くなったことで無理心中と見なされたというのが一番もっともらしい。

2階にいた明正さんは火事になっていることに気づき、慌てて逃げだした。窓から飛び降りたのかもしれない。

明正さんだけが生き残ったのはシンプルに火元からも他の3人からも距離があったためだろう。

明正さんは「オカルトにハマってたんですか?」というスタッフの問いに動揺した。3人がおかしくなったのは自分のオカルト行為によるものという認識があったと思われる。

ビデオカメラの映像を見せた後、彼は家族が「特に旅行に行った後とかに」おかしくなったと言った。

これまでの経緯を知る我々からはおかしなセリフである。彼らは番組終了後、あるいは儀式が終わった後からおかしくなって心霊スポットを巡る旅に出かけたのだ。

儀式終了直後の写真が既に歪んでいることからも、彼らに何かが生じたのはそのタイミングであることがわかる。

しかし明正さんは矢代教授の儀式による影響は無かったと断言し、家族がおかしくなったのは旅行に行った後と言った。明正さんには心当たりがあったのだ。

明正さんは家族と良樹さんが旅行中に呪いをかけた。

明正さんにとっては楽しいハワイ旅行のつもりだった。自分を除け者にして他人の子供と自分の家族が遊びに行っている。呪っても仕方がないような状況である。

しかし皆さんご存じのように呪いなんて物はまず機能しない。仮に正当な手順で儀式を行えたとしても1人の念で4人を殺すのは釣り合い的に無理である。

また、明正さんを除く飯沼一家と良樹さんの旅行も何の成果も得られていない。もし彼らが「向こう側」に行く方法を見つけられていたら行方不明になっている。

帰ってきたということは特に何も無かったということだ。あの旅行は不気味なだけで何か意味のあるイベントではない。

しかし旅行から帰って来て彼らは目に見えておかしくなっていった。実際には儀式終了後からちょっとずつおかしくなっていたのだが、期間が空いたことでその差が顕著になったのだ。

明正さんはそれを見て自分の呪いのせいだと思った。

怯えて閉じこもり、火事になって逃げ出した。それから二十数年が経っても自分のせいだと罪悪感を抱いて来たのだ。

最初はとぼけて乗り切るつもりだった。だが良樹さんの話が出たことで耐え切れずに本当のことを話した。

家族と良樹さんに対して、すいませんと。


〇四十九日の裁きについて

既にだいぶ長丁場だが最後。最もおぞましい部分である四十九日の裁き。

矢代教授と良樹さんが融合してしまっているような姿で、二十年間岸本家の二階に横たわっている。

何をやったのかは定かでない。「向こう側」に行ってしまった良樹さんを連れ戻す儀式だろうとは推測できる。

矢代教授の命を犠牲に良樹さんを助けるものだったと思うが、その結果がアレでは何とも浮かばれない。

ここからは推測を大きく含む。

2004年に放送され都市伝説となった「飯沼一家に謝罪します」。

この番組は岸本母が作らせたものだったと本人が言っている。ここは疑う余地は無いだろう。

前半のテレビ関係者の取材で「覚えていない」と答えた二人の人物。制作局員と編成局長というどう考えても知らないわけのない立場の者たち。

彼らは明らかに異質な番組をわざと見逃している。番組表に穴を開けないためか、製作費は既に貰っているためか。理由は定かでない。

邪推だが岸本母に脅された、あるいは賄賂を貰ったのではないかと考えている。いくら深夜番組とは言え公共放送で乗せるような内容ではない。

岸本母はなぜそこまで矢代教授に謝罪させたかったのか。

世間に彼の行為を知らしめると言うほどの規模ではない。儀式的な意味があったと思われる。

裁きを受けるにはまず懺悔をしなければならない。四十九日の裁きを実行するためには公の記録に残る形で謝罪を行う必要があったのだ。

「四十九日の裁き」をやってもらいました。

岸本母のセリフである。私はこの言葉にとても引っかかった。

やってもらうとは何とも微妙な表現である。どうにかしろと問い詰められた矢代教授がではこれでと提案したのだろうか。

私は実はこの儀式は岸本母が考えたものなのではないかと思っている。

「飯沼一家に謝罪します」で矢代教授が見せている表情。そこには謝意や後悔、自責の念や自己陶酔のようなありがちな感情は見られない。

あれは謝罪させられている人の顔である。

中途半端な知識で儀式なんかやっちゃいけないんですよ。

これも岸本母のセリフであるが、自分自身にかけた言葉なのではないかと思う。


彼女はどこまでわかっていたのか。

私がこれまでに書いた全てをわかっていたと仮定しよう。

岸本母は矢代教授が行った儀式がたまたま呪いとして作用し、明正さんがたまたま呪い返しを成功させたと気づいた。

儀式に使われた紙と箱、明正さんの部屋を映した写真を持っていたため十分に推測可能である。

彼女はその責を矢代教授に求め、四十九日の裁きを受けるように迫った。教授は保身からか罪悪感からか了承する。

しかし儀式は失敗。良樹さんも矢代教授も取り返しのつかない状態になってしまう。

岸本母は自分にも責任があると受け止め、その後明正さんに対して何かすることは無かった。

二十年が経ち、テレビ局が取材にやって来る。岸本母は全てを明かし番組を必ず放送するように言い含める。

恐らく特殊なルートで入手したであろう儀式に使われた紙と箱を良樹さんの私物だと偽って渡し、明度を上げるだけで判別可能な写真をさも何だかわからないものとして渡す。

取材陣がそれを持って明正さんの過去を暴きに向かうとわかっていたからである。

四十九日の裁きの詳細は想像がつかない。ただ裁きを受けるのなら誠実な謝意が必要なのは道理だろう。

矢代教授の四十九日の裁きが失敗したのは教授が本気で申し訳ないとは思っていなかったからかもしれない。

岸本母の気が収まるまで真剣にやる振りをしていた。だからいざ自分の命が引き換えにされそうになったら抵抗した。その結果があの中途半端な融合である。

この番組が放送されたことで明正さんは公に謝罪を行った。

明正さんが岸本家を訪れ、次は自分が四十九日の裁きを受けると言い出したら。

今度こそ愛する息子が帰ってくるかもしれない。

彼女はそんな一縷の望みを信じているのかもしれない。



おまけ。

一晩経って読み返して思いついた補足。

Q.矢代教授は「飯沼一家」に謝罪したけど良樹さんには謝罪しなくていいの?

A.  発端となった「影の行列」では飯沼父、母、妹、良樹さんの4人を家族としている。そのため儀式的な意味での「飯沼一家」とはやはりその4人のことになる。

Q.なんで矢代教授や教え子たちは呪い返しの影響を受けなかったの?

A.儀式の主体はあくまで飯沼一家であり、矢代教授らは言わば舞台装置である。儀式に使われた箱や鏡が「向こう側」に行ったりしないように、道具である祭司らも呪い返しの影響は受けない。

Q.そもそも呪い返しってなに?

A.呪いはかけた相手に防がれた場合、増幅されて返ってくるという法則がある。今回は「向こう側に行ってしまえ」という念が返されたので、それを受けた飯沼一家が「向こう側」に行こうとした。

Q.なんで飯沼家の3人と良樹さんは「輪っか」を作ったの?

A.心霊スポットを巡ったことからも彼らは「向こう側」をあの世と認識していた。遠く離れた別の場所で同じ「輪っか」を作ったのはそれが一つの正解だったからかもしれない。

Q.飯沼家の3人と良樹さんは「輪っか」をくぐって「向こう側」に行ったの?

A.魂だけが行った可能性もあるが恐らく行っていない。「輪っか」を作り終えた後すぐに良樹さんが動かなくなったなら岸本母はもっと「輪っか」に固執しただろう。明正さんが撮影した映像でも「輪っか」は放置されていた。

Q.じゃあ彼らって「向こう側」に行けなかったの?

A.わからない。とりあえずあの世に行く一番手っ取り早い方法は自殺である。飯沼家の火災が本当に無理心中だったならその方法で「向こう側」に行ったと言える。もしかしたら良樹さんも自殺を試みたかもしれない。

Q.岸本母は明正さんを憎んでるの?

A.たぶん憎んでいない。彼女の表情から矢代教授に対しての怒りは感じたが明正さんへの怒りは感じられなかった。演技の可能性もあるが毎年リンゴを送ってくれると話す彼女の表情は哀れみだったと思う。

Q.明正さんに四十九日の裁きを受けてほしいならなんでもっと早くに行動しなかったの?

A.会社設立、番組放送、そして良樹さんの生命維持装置で財産が無くなったのが一つ。以前ほど人を動かすことができなくなっていた。もう一つはまた儀式をやっても失敗する可能性が高いと察していたためと思われる。


昨晩は匙を投げた四十九日の裁きという儀式の詳細。もう少し考えてみる。

四十九日は人が亡くなってから生まれ変わるまでの期間。つまり肉体が魂を離れてあの世に行き、また転生するまでの猶予期間だろう。

矢代教授が死に装束を着ていることから、儀式の実行者があの世に行って魂を連れ帰るものと思われる。

では裁きとは何か。本来の四十九日とは若干違うみたいだが閻魔大王による裁きを受ける期間でもあるらしい。

矢代教授があの世に行き、良樹さんの代わりに裁きを受けるというのが字面から受ける印象だ。

しかしこれはやっぱりしっくり来ない。

良樹さんは何らかの罪による罰としてあの世に行ったわけではない。呪い返しの影響ではあるが自ら望んで「向こう側」を目指したのだ。

そも地獄の裁判で矢代教授が代わりに裁きを受けたとて、良樹さんの罪が軽減されて来世が良くなるだけである。良樹さんを元に戻すという岸本母の願いを反映した儀式とは思えない。

いったん「裁き」は置いておく。

四十九日の裁きにおいて確かなのは良樹さんと矢代教授の融合が起こったという点だけだ。

儀式の開始時点で良樹さんは臨死状態、あるいは死亡していたと思われる。でなければ矢代教授は死に装束を着て二階には向かわない。

もし矢代教授も臨死状態になり魂だけがあの世に行ったとしたら、たとえ二人が混ざり合って帰って来たとしてもあんな姿にはならない。

矢代教授は肉体ごとあの世に行き、良樹さんの魂と一緒に良樹さんの肉体に帰ってきたため物理的な融合が起こったのである。

儀式の手順としては問題なかったが、本来あの世に残って良樹さんを送り出すはずの矢代教授も帰ろうとしたため失敗したのだ。

そう考えると岸本母の矢代教授への怒りも理解できるだろう。

という話だとしたら、なぜ岸本母は矢代教授にやらせたのかという疑問が出てくる。

自分があの世に行って良樹さんの魂を送り出せば確実である。その犠牲を厭うような精神の持ち主ではないだろう。

やはりこの儀式は「裁き」なのである。

公の場での謝罪が必須であるように、何らかの罪に対する許しによって魂を現世に帰還させる。それが儀式の根幹なのだろう。そのため良樹さんがこうなった責任がある者でなければ実行できなかった。

しかし実際のところ飯沼一家の3人も良樹さんも矢代教授も明正さんも、誰も意図的に呪いをかけたわけではないのである。

何に対する謝罪なのか。何に対する許しなのか。その部分がガタガタである限りこの儀式はどうやっても成功しそうにない。

仮に明正さんが四十九日の裁きを受けるとしても、じゃあもう1回良樹さんを臨死状態にするのか、既に二人分くっついちゃった肉体はどうするのかという話だ。

もうこうなっちゃった時点でどうにもならない。やっぱり中途半端な知識で儀式なんかやっちゃいけないのだろう。

考察おしまい。


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作業のお供として見ていたが想像以上に面白かった。 今後の糧にもなりそうなので他の人の考察も参考に考えたことをつらつら。 〇矢代教授が行った「影の行列」という儀式について 私はそれなりにオカルト好きだが体系的に学んでいるわけではない。よって私の解釈には私個人の思想が多分に入り込んで...