『ホントに悪いね。こんな時間に。』
「別に構いませんよ。」
車から降りて、電話口に笑いかける。
今日の先輩はやけに萎らしかった。
連休の終わり、旅行先から帰宅してすぐのことだった。
明日の仕事に備えて寝る支度をしていた時、電話が鳴った。
『悪いね。こんな時間に。』
「どうしたんですか?」
職場の先輩だった。新人の頃からお世話になっている相手だ。
『ちょっと出先で財布を無くしちゃってな。帰れないんだ。』
「えっ!大丈夫ですか?」
『それで悪いんだけど今から言う場所まで迎えに来てくれるか?』
「…今からですか?」
思わず言葉に詰まる。時刻は0時を回っていた。
『ホントにごめんな。でも早く帰りたくてな。』
「それはまぁそうですよね。明日も仕事ですもんね。」
『頼むよ。他に頼める相手もいないんだ。』
先輩の声は何だか悲しげで、私は断れなかった。
私は車を走らせ、先輩の元へ向かった。
指定された場所は繁華街の外れだった。
明かりも少なく、街路樹に覆われて薄暗い。
「先輩。ここで何してたんですか?」
『んーまぁ飲み屋を出てフラフラ歩いてたらここまでな。』
「それで財布を無くしたわけですか。」
『そんなところだ。』
街路灯の明かりを頼りに先輩を探す。
「どこで待ってるんですか?」
『どこだろ?広場みたいになってるとこだったかな?』
「それじゃわかりませんよ。」
『んーと、どっかに自販機ある?』
遠くに自販機の光が見える。たぶんあそこだろう。
「ありましたよ。」
『おーじゃあたぶんその近くだ。』
「手とか振ってみてくださいよ。」
『いやぁちょっと難しいかな?』
は?
人に迎えに来させといて何言ってるんだこいつ。
「ふざけてるんですか先輩。」
自販機に向かって歩きながら、少し声を荒げる。
こういうふざけ方をする人じゃなかったと思うが。
『…ごめん。さっきの噓。』
「どのことですか?」
『財布無くしたっていうの。』
「え?」
『ホントは盗られたんだ。』
「…先輩?」
『歩いてたら後ろから殴られてな。そいつが財布持ってった。』
「じゃあ警察に『まぁ聞け。』
初めて聞く先輩の声だった。暗く、無機質な。
『当たり所が悪かったんだろうな。あいつも焦ってたよ。』
『財布はきっちり盗んでったけどな。ひひっ。』
自販機の前に立つ。先輩の姿はない。
「どこに居るんですか?」
『奥を見ろ。』
目を凝らす。茂みの奥に何かが落ちている。
黒いスニーカー。見覚えがある。
「先輩。」
『なんだ?』
「その話っていつのことですか?」
『連休の初日だよ。』
その言葉を裏付けるように、辺りにはかすかな腐臭が漂っていた。