私たちは絶えず分裂する増殖する
タコの幼体は単為生殖を繰り返す
キンギョの舌には眼球が形成される
アオムシは私の肌に潜り込んでいく
闇の中に生まれ、消えていく私たちに
もっと目を向けてほしい
光を向けてほしい
【解説】
夢で見た光景と情感。
水槽の中、目を凝らすと小さなタコの幼体が泳いでいた。未成熟な状態で分裂し増殖を続けるんだ。
水槽の底の方にはキンギョが居る。キンギョはタコの幼体たちを食べて育つ。舌には目玉ができていた。
テレビから目を離すとアオムシが這い上がってきていた。よく見ると既に肌と同化しかかっている個体もいる。私は必死に引き剝がして投げ捨てる。
私は目を覚ます。目を覚ました夢を見る。
そして思うんだ。
闇の中に生まれ、消えていく私たち。タコの幼体やキンギョやアオムシや私。
私たちにもっと目を向けてほしい。光を向けてほしい。
そういう夢を見た。
【ちゃんとした解説】
夢の内容をメモした紙を発見したのでここにも保管しておきます。
私は寝つきが悪く眠りが浅く寝覚めも悪いのですが、それらは時に創作に天啓をもたらします。それが夢です。
実際これまでに動画にした話の中にも、夢で見た内容に調整を加えて出来上がったものもあります。
これは調整不可能ながらも何となく意味がわかるような気がして書き残しておいたものですね。
多少こじつけながら解釈して行きましょう。
私が私たちだと認識しているタコの幼体、キンギョ、アオムシ。
タコの幼体だと書きましたが、あくまでそれは私の認識上の話で、本当はタコの幼体ではないかもしれません。動物性プランクトンの一種であったことは確かなんですがね。
彼らは水槽の中、細胞分裂によって増えていくんです。単細胞生物なんですね。
未成熟な状態での増殖。交配であれば子供のまま親になるというわかりやすい画を描けるんですがね。
分裂となると人格の分裂しか思いつきませんね。バラバラになってもそれぞれが成長して結果的に倍になる。うーんわかりません。
彼らは同じ水槽で暮らすキンギョに食べられます。キンギョに食べられないようにタコが逃げている感覚は無かった気がします。
タコはただ増える。キンギョはただ食べる。それが水槽の中の理だから。そんな気がしましたね。
キンギョの舌から眼球ができていると書きました。これはキンギョの口付近に眼球が見えたとき、ああ舌から目玉が生えているんだなぁと思ったからです。キンギョの通常の目は別にありました。
冷静に考えると舌に眼球ができるという状態は意味不明ですし、そもそも魚に舌はありません。存在しないものから存在しないはずのものが生えているということです。
本来存在しないはずの舌を生やしたのは喋れるようになるため、つまり見せかけの社交性を意味し、その先についた眼球は他者の動向を探るため、つまりこれまた社交性のために後天的に作りだした器官であることを示しているんですね。
おお、それっぽい。
タコとキンギョは水槽の中の住人。その水槽を映したテレビを眺める私。
私の体にはアオムシが這い上がり皮膚の中に潜り込もうとしていました。潜り込むというよりはくっついてそのまま同化するような感じでしたね。
強い焦燥感と恐怖心を抱きました。一匹ずつ引き剥がしてクローゼットの方へ投げました。たしかあそこは実家の子供部屋ですね。私はあの部屋に居ました。
そして目を覚ました夢を見ました。今度は今の私の部屋。アパートの一室ですね。
そこで私たちに光を向けてほしいという悲痛な願いを覚え、本当に目を覚ましました。
何とか説明できそうですね。
まずタコの幼体は私の下位人格。感情や欲望的なものですね。
キンギョは私が社会で生きていくために作り上げた中位人格。タコの幼体を喰い潰し、それらを糧に生物的な活動、いえ人間的な活動を行います。
タコもキンギョも水槽の中に閉じ込められており、水槽の中でしか生きられません。キンギョが社交性を発揮する対象は見当たりません。少なくとも水槽の中にはいません。
そんな彼らを映したテレビを私は眺めています。水槽を眺めるのでなく水槽を映したテレビを眺めていたということは間にもう一つ中位の人格を挟んでいることを暗示しています。
第二中位人格は下位人格と第一中位人格の様子を上位人格たる私に伝えるだけで、個性は見せませんでした。自らを客観視する能力の発露でしかないのでしょう。
私はそれらを画面越しに眺めているだけですが、アオムシが這い上がってきます。アオムシもまた下位人格の一つでしょう。
下位人格は私に統合を求めてきました。私は自身とは切り離したはずのそれらが中に入ることに強い拒否反応を覚えます。
夢から醒めたとき、こんな風にしか生きられないことを嘆き、自分たちに光が向けられることを願った。
こんなとこですかね。
まとめるとタコの幼体とアオムシが下位人格、キンギョが第一中位人格、テレビが第二中位人格、私が上位人格ですね。
普段は自分の感情や欲求を押し殺し、見せかけの社交性をまとった仮面を被って生活していますが、時に自らを客観視する能力によってその様子をまざまざと見せつけられる。そんな時、切り離したはずの感情が湧き上がってきて私を苦しめる。
タコの幼体とアオムシ、私は子供。テレビは無機物。大人なのはキンギョだけですね。
今こうして文字を打ってるのは私ではなくキンギョの方な気がします。
感情や欲求は蔑ろにされ、中位の人格は歪に発達。上位人格は画面を眺めるだけで今も子供部屋。
それが私たちという複合体の構造なのかもしれません。
いやぁそれっぽい解釈ができましたね。思ったよりちゃんとしてる。
もう少し調整すれば詩くらいにはなるかもですね。題名は「私とサカナとムシと」でどうです?
眼球がついた舌が生えたキンギョというのも酷く醜悪で、一回絵にしてみたいものです。最近この界隈の人絵描ける人多いし、私も練習してみましょうかね。
もう夜遅いし終わります。今日も嫌な夢が見れそう。
長文駄文失礼しました。
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