「なあ葵、ずん子を捕まえられへんか?」
姉妹の部屋で茜が葵に問いかける。ずん子と話す機会を窺っていたが、ものの見事に逃げられてしまっていた。葵は机に向かいながら答えた。
「お説教でもするの?」
「そんなつもりはないが、あれはヤバいやろ。」
「私たちはずん子さんがああいう人だって知ってたんじゃない?」
「まあ、そうやが…」
茜は中立の立場を捨てることに葛藤しているのか苦しそうに顔を歪める。
「クラスでだって扱い変わったんやないか?」
「ずん子さんがあまりにも普段通りだから、あの新聞のことは夢だったんじゃないかと思ってるよ。」
「そんなわけないやろ。」
「腹を立ててる人や集会に行くようになった人もそりゃ居るだろうけどさ。面と向かってずん子さんに物申せるわけないじゃん。うん皆のこと蟻だと思ってるよなんて言われても言い返せないよ。」
葵はケラケラと笑う。葵はずん子に複雑な思いを向けていたはずだが、あの新聞の内容には怒っていないのだろうか。
向けられる視線からその考えを察してか、葵が意図を説明する。
「ずん子さんがあんなことを書いたら怒らせるってわからないわけないじゃん。今の状況はずん子さんが自分で招いたことだよ。つまりこれで作戦通りってこと。」
「こんな作戦あるんか。」
「私たちが考えるような作戦じゃあないんだろうね。ゆかりさんは何て言ってた?」
「ゆかりはこの件からは完全に手を引くそうや。」
新聞が出た日、ずん子に憤って集会に参加する人が増える中、ゆかりは集会にはもう関わらないと宣言した。教室でも六花に話しかけられたら追い払っている。
「なんやかんや言ってあいつはずん子のこと好きやからな。からかいやなくてバッシングが吹き荒れるとわかってるとこには行きたくないんやろ。」
「なるほど。」
葵は顎に手を当て何かを考えこむ。
「…馬鹿だね。」
「まあ自分で始めといて盛り上がったら冷めるってのは馬鹿らしいわな。」
「ゆかりさんじゃないよ。」
葵はスッと目を細める。その表情には先ほどは見せなかった怒りが微かに滲んでいた。
「賢い人たちの争いに混ざったら馬鹿を見るに決まってるじゃん。ほんと馬鹿。」
集会の参加者は更に増え、200人を優に超えていた。
ゆかり達幹部が抜けた穴には新聞部がそのまま入っていた。もう学校新聞は出ないので中立を演じる必要もない。新聞部もまた、集会の参加者と一緒くたに虫けら呼ばわりされているため合流に違和感を持つ者はいなかった。
ゆかりから六花へ、あかりからフィーちゃんへ、ギャラ子からかのんへと代替わりしただけで組織構造自体は変わらない。しかし、集会の雰囲気は明らかに変わっていった。
まとめる人たちの問題か、集まる人たちの問題か、あるいは単純に人数が多すぎるのか。
モカはかつてゆかりとギャラ子たちがそうしていたように、隅の方から集会を見守るようになっていた。
「今日も大勢の生徒たちが集まってくれました。しかし未だ全校生徒の三分の一程度。投票日はもう目前だと言うのに私たちは過半数を押さえることができていません。これでは選挙において東北ずん子が勝ってしまうかもしれません。」
六花の言葉に怒りと嘆きの籠ったどよめきが広がる。ずん子への悪しざまな野次も多い。
「もしこのまま東北ずん子が勝つことがあれば、それは人が自らの思考や意思で何かを選択することなく、ただ大きいものに身を任せてしまっていることの証明になってしまいます!自分たちを遥かに見下している者であっても、餌をくれるならそれでいいと!」
六花の演説は急速に激しさと鋭さを増していっていた。モカはその成長に危うさを感じずにはいられなかった。
過半数は取れているのだ。あの新聞のせいで9割以上が小春六花に投票するつもりだったはずだ。
だけど今集会の参加者たちは、自分たちだけが六花の支持者だと思い込んでいる。代表である六花もまたそうなのだろう。
だから必死に人を呼び込もうとしている。集会に参加していない者たちはずん子に投票するのではないかと恐れている。
六花派はそれぞれのクラスと部活で集会への参加を呼びかけていた。それは情熱ではなく同調圧力であり、参加しない者たちはずん子派と見なして暴言を浴びせるようになっていた。
ずん子が語ったような「心を持たない蟻」だと。
これは悪手だ。
六花たちはただ生徒たちのずん子への反感をそのままに投票日を迎えれば良かったのだ。そうすれば確実に勝っていた。
しかし六花もかのんも支持者たちも熱くなり過ぎている。ずん子への反感を他の生徒に向ければ、他の生徒からずん子への反感ごと自分たちへの反感を受け取ることになる。
かつての学生運動で起こった政治組織が、一般の学生からの支持を失っていったように。
「私から提案があります。このままでは過半数を超えられないまま土日を迎え、来週の投票日を迎えてしまいます。そこで今週末は休日返上で集会を行いましょう。たとえ土日であっても部活動のために学校に来ている生徒は大勢います。彼らのところを回って改めて投票を呼び掛けるんです。」
かのんの提案にモカは眉をひそめる。この第三体育館だって運動部に使われるはずのものだ。連日集会によって占拠されていることで不満も出たが、集団の力で黙らせてきた。
しかしそれは人数の少ない弱小部だったからだ。ここから出て他の体育館やグラウンドを占拠すればさすがに不満を抑えきれない。何より200人以上の規模で動き回るのは常識的に考えて危ない。
「この生徒会選挙は学校の一大事です。全ての生徒に危機感と当事者意識を持ってもらう必要があります。そのために私たちはまだ終わるわけにはいかないと思っていました。ぜひやりましょう!」
六花も賛成してしまった。その呼びかけに集会の参加者たちも呼応する。
この場には誰もストッパー役が存在しない。
モカは気づく。
ゆかりとギャラ子を使って集会の参加者をずん子派にひっくり返すのかと思っていた。しかし二人は抜けた。このタイミングで抜けさせることが策だったのだ。
これまで扇動者であったあの二人は同時に制御装置でもあった。火加減を調整して大火事になることを防いでいたのだ。あくまで「おふざけ」というスタンスを保つことで。
もう怒りに身を任せた生徒たちは止められない。それを統率しなければならない六花もまた怒りに囚われてしまっている。この集団はもう制御不能だ。
こうなることを狙っていたのか。小春六花の自滅を。
いったいいつから…?
これが東北ずん子が思い描いていた盤面だとするなら、決定打となったあの一手だけが彼女の打った手ではないはずだ。
モカは自分の頭に浮かんだ想像に身震いする。
ゆかりとギャラ子は六花派に傾いた頃から集会にあまり来なくなっていた。それは彼女たちが実際はずん子派だったからか?膨れ上がっていく集団が制御できなくなるのを予知していたからではないか?
危機察知に長けた彼女たちが決壊を喰い止めようとはせずに立ち去るとわかっていた。残った者たちでは統制が取れないことも。
暴走のリスクを認識していた二人が合流に踏み切ったのはずん子が反応を示さなかったからだ。ずん子は敢えて何もしないことで彼女たちを動かした。
かのんもそうだ。彼女もまたずん子が何もしないから話題欲しさに六花を集会に連れて来てしまった。
かのんについてはずん子を本気で打ち負かしたいという敵対心もあった。それは元々あったものだろうか。ずん子への取材の中で植え付けられたものなのではないか。
六花の合流を後押しするように、集会の参加者を増やすように誘導した。反感で人を動かせることは今の六花と生徒たちを見れば明らかだ。
六花が生徒の人気を求めて自由と個性を掲げると読んでいた。だから自分に反感を持った生徒がそちらに流れるように真逆の規律と規範を掲げた。
ゆかりとギャラ子が連れて来た生徒たちが自由と個性に惹かれることも。大勢の人に求められることで六花が集会に入れ込んでいくことも読んでいたのだ。
結果だけ見れば六花の自滅だが、そこに至るまでの道筋は全てずん子が整えたものだ。
全て…始まりから全て…?
ゆかりの動き出しは早過ぎやしないか。新聞が出た翌日にはもう集会を開いていた。
ゆかりはもっと前から知っていたんじゃないか。ずん子と形だけの対抗馬の六花の一騎打ちになることを。だってゆかりはずん子と友達だから。
ずん子からそのことを聞いたゆかりは、生徒会のゴシップ記事とは関係なしに彼女を負けさせようと画策していたのだ。
かのんが記事を書けたのは生徒会と弓道部の内情をよく知っていたからだ。
副会長と千冬がずん子を推す中、頑なに花梨が六花を推していたことを。ずん子が優勝候補の花梨を2年連続で下し、確執があってもおかしくない関係であることを。
それを話したのは誰か。生徒会でもあり弓道部でもありクラスメートでもあるずん子自身ではないか。
きっとあくまでさりげなく、世間話の一つとして。
蟻の群れ…
モカはその言葉の真意を理解した。
誰もが自分の思考と意思で動いているつもりで、実際は東北ずん子の指先に導かれていたのだ。そしてそのことを認識すらできなかった。
私たちに心は無い。
「モカさん。」
呼びかけられた声に振り向くと、千冬が立っていた。
「あなたを連れ出すように言われました。」
誰になんて聞くまでもない。ずん子だ。
連れ立って歩き出す。この場所に千冬が居るのはまずいのではと足早になる。
「千冬ちゃんは大丈夫?嫌がらせを受けたりとか…」
「大丈夫です。もし私がずん子さんと一緒に挨拶回りでもしていたらそうなっていたのかもしれませんが。私は何もしていませんし何もさせて貰えていませんので、誰も私がずん子さんの仲間だとは思っていません。」
当然それもずん子の策の内だろう。やはり最初からこの勝ち方をするつもりだったのだ。
「ゆかりさん達は逃げましたか?」
「もうとっくにね。」
「まあそうですよね。」
千冬は淡々としている。
「ここの人たちはこれからどうなるんだろう。」
「私にはわかりませんが、まず良い結果にはならないでしょうね。」
過激化が進めば離脱者は増え、残留者は更に過激化していく。そうしてこの集団の外にいる者たちは、この集団の中にいる者たちへの忌避感を強めていく。
これ以上この集会に人が増えることは無い。たとえ240人が一致団結しようと、それ以外の480人がそっぽを向けば選挙には勝てないのだ。
ヤバい連中を調子づかせないために、消去法的にずん子が選ばれる。この選挙の結末は決まった。
「ずん子さんはどうするつもりなの?たとえ生徒会長になれてもこの人数を残しておくのは危ないでしょ。」
「これまで何も教えてくれなかったのに私に教えてくれてると思いますか?」
初めて千冬が不機嫌を見せた。純粋にずん子の力になろうと思っていた千冬にとってはこの勝ち方が快いはずもない。モカは自分の気遣いの無さを恥じた。
「ただまあ、この人数を残しておくのが危ないなら残さないんじゃないですか。どうするのかはわかりませんけど。」
千冬の言い分はもっともだ。ここまで読み切っていたずん子なら、この先も考えていないわけがない。
蟻の群れの最後を見届けたい気持ちもあったが、その時まで内部に留まっているわけにはいかないだろう。
「とまあ、そういう感じだったよ。」
「なんてこった…」
モカは茜に集会が過激化しこのままだと自滅することと、それがずん子の策略なのではないかという推測を語っていた。
「で、私は実は千冬ちゃんから依頼を受けて集会について探ってたの。」
「完全に私の取り越し苦労でしたが…」
千冬は苦い顔で呻いた。
集会から抜け、文芸部の部室で千冬とお茶をしていると茜が訪ねてきた。
ついにずん子を捕まえたところ、ここに来るようにと言われたのだ。千冬がモカを連れて離脱した頃だと読んでいたのだろう。
「いったい何なんやあいつは。」
「策士という一言では言い表せられないね。やっぱり超人なんじゃないかな。」
千冬には悪いがモカは正直なところ感心していた。これほどまでに人をコントロールできる者がいるとは想像もしていなかった。
「…私はあの人について行っていいのかと考えが変わりました。」
千冬が小さく呟く。
「文字通り人を人とも思わない勝ち方です。掌で転がされている六花さんを選ぶことはできませんが、掌で転がしているずん子さんも本当は選びたくない。」
千冬の立場であれば当然だろう。ずん子は尊敬しており、六花も憎からぬ生徒会の仲間だった。選挙後に残る禍根と言う意味では最悪だ。
「本当のところはずん子さんに聞くしかないけどさ、私たちに残るモヤモヤも含めてずん子さんが欲しかった成果なんじゃないかな。」
「…どういうことや?」
「ひどい結末だけど、こんなに生徒たちが生徒会選挙に関心を向けたことなんて無かったでしょ。それで終わってもまだ考えてる。でもずん子さんはなぁって。」
「ではどうするか。」
千冬が割って入る。新聞にあった六花の主張に書かれていたものだ。「ではどうするか」を問いかけられる人でありたいと。
「これをきっかけに千冬ちゃんがずん子さんとも六花さんとも違うリーダー像を築いてくれるなら、次に繋がってることになる。私たちだって次は踊らされないかもしれない。ずん子さんのあの主張も単なる挑発じゃなくて、お前らもっと考えろよってメッセージだったのかもね。」
「現実世界を教材にするのはやり過ぎやろ。」
「かもね。でもあくまで学校で起こることだから致命傷にはならない。縮図の中での失敗だから。」
もっとも社会的な傷にはならなくとも心に負った傷は致命傷になるかもしれない。そういう意味ではずん子はやはり人の心がわかっていない。
「いや、人に心なんて無いんだったか。」
モカはそう独り言ちた。
その翌日、土曜日の学校でそれは起こった。
第三体育館に集まった240人の生徒を前に、六花は集会の中止を宣言したのだ。
六花の心変わりの理由は前日に友人の茜から説得を受けたためだった。茜には大人数での行軍によって事故や事件が起こる危険性を見過ごせなかった。
しかしブレーキを引いていい時ではなかった。やめさせたいのならアクセルを緩めながら速度を落とさなければいけなかったのだ。
行き場を失ったエネルギーは内ゲバという形で発散された。六花への信頼で動く者とずん子への敵意で動く者の口論は、些細なきっかけで暴力になった。
軽傷者多数の果てに重傷者一名を出して生徒たちは止まった。救急車のサイレンが聞こえる頃には大半の生徒たちが逃げ出していた。
教師と救急隊が駆けつける中、六花はうなだれていた。
モカたちが想定していたより、はるかに酷い結末だった。
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