2026年9月26日土曜日

ジェンダーリスクマネージメント3

「アンタの帽子邪魔なのよ。」

ロサが魔女帽子を引っ張る。魔女服を着た女生徒は帽子を取られないように両手で力強くつかむ。


「そんなの私の勝手でしょ。」

「視界の邪魔になってるのよ。黒板が見えないでしょうが。」

教室内で起こったその喧嘩にやいのやいのと野次馬が駆けつける。

席替えによってロサは魔女服の女生徒の後ろの席になり、魔女帽子が邪魔になったことがトラブルになったようだ。


「確かにそうだね。すまないが席を替わってくれるかい?」

すかさず担任教師の松嘩りすくは仲裁に入る。

席替えはトラブルが起こりやすいイベントだ。配慮が漏れていたことに内心で苦い思いを滲ませる。


魔女服の女生徒は一番後ろの席の生徒と替わることになったが、ロサとはまだ険悪な雰囲気だった。

「そもそもなんで教室でもずっと帽子かぶってるのよ。屋内なんだから外しなさいよ。」

「別にいいでしょ。この学校は服装自由なんだから。」

「自由って言っても限度があるじゃない。アンタの魔女帽子いつも邪魔になってるのよ。視界を遮ったりぶつかったり。」

「…それは気をつけるわ。でもこれは私のアイデンティティだから譲れないの。」

「何がアイデンティティよ。自分のこと魔女だと思ってるの?」


そろそろまたボルテージが上がってきそうなことを察し、クラス委員のキタガワとイトウが茶化しに入る。

その場は有耶無耶になったが、りすくはロサの態度に危機感を抱く。

放課後、りすくはロサに声をかける。自分がお説教を受けることに納得がいかない様子だったが、ロサは大人しくついてきた。




「確かにこの学校は服装自由です。でも本当にどんなものでもいいわけではないはずです。周りの生徒の迷惑にならないようにというのは明記されています。」

ロサは訥々と語り始める。

この学校の生徒は頭が良く口が回り、先生相手だからと言って怯むことは無い。

教師陣からはやりにくいという声も多かったが、りすくは自分の意見を述べてくれることをありがたく思っていた。


「周りの迷惑になることもあるかもしれない。けれどだからと言って絶対に外すべきと言うほどではなかったはずだ。現に他の生徒も君の意見に同調はしなかった。」

「思っていても言わなかっただけでしょう。この学校は自由を校風にしています。1つ制限をかければ連鎖的に制限が増え自分にも影響が及ぶかもしれませんから。」

「君は奇抜な服装もしないし特殊なこだわりもない。だから制限を増やすことに抵抗が無いのはわかる。」

「私とてできれば締めつけは緩い方が良いと思っています。しかし自分に迷惑がかかるならやめてほしいことはあります。」

ロサはそこで言葉を切った。

こちらの主張を聞き、粗があれば突っ込んでやろうという腹積もりだ。

りすくは息を吸って言葉を吐いた。


「人の迷惑になるならやめるべきというのは私も同じ意見だ。けれど少なくとも今回の件については席を替えることで決着がついたんじゃないか?」

「では今後は彼女はずっと一番後ろの席で決まりと言うことですか?大した理由も無く特別扱いでいいんですか?これからは一番後ろの席になりたい人はトンガリ帽子をかぶってくればいいと?」

「…それはまた別の問題だ。自分も一番後ろの席がいいという人がいれば個別に対応する。」

「具体的には?希望する人数が増えて抽選になり、彼女が前の席にならざるを得なかった時は帽子を外すように言ってくれるんでしょうか。来年は松嘩先生が担任では無いかもしれませんがそのように引き継ぎなさるんですか?」

「面倒事の先送りなのは否定できないがね。なるべく無難に、なるべく穏便に済ますのが私のスタンスだ。他の先生にもそのように対応するよう伝えるだろうね。」

「理解に苦しみますね。帽子を外したぐらいで何だと言うんですか。生徒の個性に配慮し過ぎて頭がおかしくなりませんか。」

ロサが嘆くように両手を上げる。

実際生徒一人一人に配慮するのは苦行以外の何物でもない。ロサも生徒の一員ではあるがそういった苦痛は感じていることだろう。


「例えば脱毛症だね。」

りすくが言った言葉の意味がすぐには飲み込めなかったようで、ロサは固まる。

「帽子を外さない理由だよ。免疫機能の疾患やアトピー、精神的なストレスが原因と言われているね。若い女性でもなる可能性はあるし、若い女性だからこそ絶対に秘密にしたいと思うはずだ。」

「それは…」

「服装の自由は個性の尊重ではあるけれど、秘密を守りやすい環境づくりの意味合いもあるんだ。帽子をかぶっていれば普通の学校では浮いてしまうが、ここではそうでもない。より帽子をかぶることが自然に見えるようにいつも魔女の仮装をしているのかもしれない。」

ロサはその可能性について吟味していた。全く頭にない視点だった。


「キタガワさんやイトウくんが仲裁に入ったのは、君が意図せずその秘密を暴くのを防ぐためだったとは思わないかい。他のクラスメートが魔女帽子を邪魔に思いつつも外すように言わなかったのは、そういった事情を察していたからだと。」

「…私の考え足らずだと。」

「実際そうなのかはわからないし、一生徒である君がそこまで考慮するべきだとも思わない。しかし世の中には様々な事情が存在し、みんなその事情を誰にも教えられなくても推測して動く。これは単なるリスクの話だよ。」

「…危ういことをしました。」

ロサは自分が危ない橋を渡っていたことに気づいたようだった。

もし帽子を取って彼女の髪が酷い状態であれば、彼女とロサの学校生活は今後居たたまれないものになっていただろう。

この学校は賢く思いやりがある生徒が多いが、それ故に愚かで思いやりが無い生徒に対しては冷酷になり得る。いじめこそ起こらないだろうがロサは確実に集団から弾かれる。


「彼女の帽子が邪魔であるというのは事実だ。なんら否定することは無い。しかし帽子を外さない彼女が気に入らないというのは感情だ。事実と感情をごっちゃにするのは非常に危うい。」

ロサは真剣にりすくの話を聞いていた。

正しいかどうかがわかり、正しいことであれば受け入れる。りすくがこの学校の生徒が好きな理由だった。

「事実に対しては事実だけを積み上げて粛々と対処すればいい。邪魔だから外すのがもっとも簡単だが、席を後ろにするだけでも十分問題は解消される。それ以上のことはそれ以上のことが起こった時に考えればいい。感情をどう処理するかはまた別の話だ。」

「深刻な事情があることを疑って飲み込みますか。」

「それも一つの付き合い方ではあるけどね。私は気に入らないものは気に入らないでいいと思うよ。気に入らないからどうしてやろうかってことを考えるならもっと慎重かつ賢明にならないといけないってだけ。」

ロサが飲み込むだろうことはわかっていた。

相手の事情を無視して自分の機嫌で振る舞えるほど子供ではない。


「知ることが増えれば考えることの幅も広がる。けれど重要なのは脱毛症に関する知識ではなく、相手に深刻な事情がある前提で動くという処世術の方だというのはわかるね。私も君も知らないようなことが世の中には数え切れないほどあるだろうから、まずは疑うことから始めないといけない。」

「肝に銘じておきます。」

ロサは渋々と言った顔で頷いた。

叱られたことへの不服ではなく、自分の考えが甘かったことへの反省だった。




生徒指導室を出ると、廊下で魔女服の女生徒が待っていた。

「ロサちゃんが怒られるのも違うと思ったから…」

そう言った彼女は帽子を外していた。彼女の髪は綺麗に生え揃っていた。


「ムキになっちゃってごめん。」

「私こそムキになっちゃってごめん。」

仲直りする二人を眺めながら、りすくは今回も丸く収まったことにホッと胸を撫で下ろした。




その日、りすくは休んでいた。

重篤なものではないようだが病欠とのことだった。

ロサを始め生徒たちは心配するものの、ちょっといつもと違う1日くらいの感覚だった。


りすくが担当していた授業は自習でも良かったが、2年の如月という先生が空いていたので彼女が代行することになった。

授業は滞りなく進んだ。如月先生はあまり雑談を挟まずに淡々と進めるタイプの教師だった。

だからその話題に触れてしまったのは何とも噛み合いが悪かったとしか言いようがない。


「あなたは女でしょう。」

クラスに流れるように緊張が走る。

満別花丸と伊織弓鶴の性別については言及しないことになっていた。

そう言われた花丸は曖昧に笑っていた。


「如月先生、そのことはあんまり…」

弓鶴が苦笑いしながら話す。

「伊織くんは男です。満別さんは女でしょう。」

如月先生は迷いなく言い切った。

二人ともどっちかわからないというのが生徒も教師も含む大抵の人間の見解だった。

しかし如月先生は明確に弓鶴を女のように見える男であると、花丸を男だと言い張っている女であると断じたのだった。

その根拠がどこにあるかはわからなかったが、生徒たちは妙な説得力を感じていた。


「あなたは女でしょう。」

如月先生は再び言った。

ロサはりすくの教えを思い出していた。

相手に深刻な事情がある前提で軽はずみな行為は慎む。それに明らかに反することに思えた。

嫌な流れだ。ロサはクラスの空気が徐々に温度を下げていくのを感じていた。




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